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McDonald's

マクドナルド兄弟のリチャードモーリス1910年代初め、ニューハンプシャーに生まれた

靴工場の現場監督だった父は大恐慌で職を失くした

そこで二人は30代前半にしてハリウッドに職探しに出かけた

リチャードモーリスは楽観的でモーリスマックと呼ばれていた

当時のハリウッドで働くことは景気がよく葬儀屋とビール工場に並ぶ商売だった

二人は映画喜劇王ベン・ターピンの映画ステージセットを担当する職に付いた

これをきっかけに二人はグレンビュー映画館をオープンした

しかし、数年で閉鎖に追い込まれてしまい、すっかり衣食にも事欠くようになってしまった

もう、人々の記憶に残るような有名になることはないと落胆した

それでも自分達の夢が打ち砕かれてしまう失意の中、1937年パサデナの東に小さなドライブイン・レストランMcDonald'sマクドナルド)を開店した

実のところ、それは当初ホッドドッグの売店だった

しかし、このホッドドッグの売店は大変、好評で瞬く間に二人は財を蓄え、1940年ついにファースト・フード・レストランMcDonald's Hamburgersを開業した

ここからさらに二人は大金持ちとなっていく

このサン・ベルナルディノのちょっと風変わりな八角形マクドナルド1時間以上の行列を作る人気でとてもファースト・フードとはまだ呼べなかった

こんのマクドナルドの成功に注目が集まりはじめると、目を付ける人達が現れた

その中の一人に、当時ミルクシェーク機械の行商人レイ・クロックがいた

彼が驚いたのはマクドナルド兄弟がミルクシェーク機械10台分以上の仕事をしていることだった

彼は何時間も行列に並びマクドナルドを食べ、そこには未来の金鉱が眠っていると感ずいた

マクドナルドはまるで組み立て工場のようだった

売り上げではフォード数千億円には敵わないまでも、
マクドナルドフォードの自動車組み立て工場そっくりにシャシーに置かれたエンジンやタイヤ部品を組み立てていくようにハンバーガーやその他の食材を調理していった

大恐慌を味わったマクドナルド兄弟にとって、生きていける喜びで大金持ちになることなどどうでもよかった

無頓着なマクドナルド兄弟は自分達の事業の可能性に気づいてか、気づかずか、二人は、希望する人たちにマクドナルドマニュアル商標をわずか1千ドルで売却した

マクドナルド兄弟が自分達の価値に気づいていなかったのかどうか
不思議ではあるが彼らの方法は当時、本当に革新的であった

お客さんを待たせないようにすることを第一に考え、必要量のハンバーガーを用意する新しいコンセプト手法は、彼らオリジナルのやり方であった

他にも二人のアイデアは客層を若者にターゲットを絞り、建築家の反対を押し切ってマクドナルド黄色いMマークであるゴールデン・アーチを使い続けたことなどがある

これらのことがマクドナルドに大成功をもたらしたのである

二人はレイ・クロックを超えるほどではないが想像できないほどの財をなした

9万ドルもする21室もある豪邸に住み、毎年、新型キャデラックを運転した

1961年にビジネスから完全に引退するとテレビでボクシングを見て過ごし、カルフォルニアの最高級レストランで食事をする日々を送った

二人にとって晩年の最大の悩みは「お金はどんどん入ってくるが、やるべきことがなく、すっかり退屈してしまった」ことであった


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